色々な書籍を読んで、これを読んだところで、彼の何が変わると言うのだろう?と疑問符が並ぶ。
高次脳機能障害は、100人いれば100通りの障害があり、対応の仕方も変わってくる。従ってそれぞれ生きたリハビリが必要となる。高次脳機能障害に限らずなのだろうが、その辺りは、弟のリハビリしか知らないワタシには想像でしかない。
来月末で自宅療養となって丸1年になる。何も変わっていないと言えば、変わっていないし、変わっていると言えば、変わっている。そんな認識の遅々とした歩みである。
パパもワタシも高次脳機能障害を甘く考えていた節があって、それが歩みの遅さに影響していることは否めない。例えば、言語障害については、ひらがなもまともに読めない場合があるのに、なぜか漢字は読めると思い込んでいた。もっと早くに気がついていれば……と後悔するも、だからと言って、素人かつ弟と接する時間に限りがあるワタシが出来る事は限られている。しかし、ここで思考停止していても始まらないので、少し前から絵本や雑誌の音読をさせている。昨日はワタシの愛読雑誌である『暮らしの手帖』をペラペラしながら、適当に音読させてみた。もちろん漢字を含む文章である。これが案外読めるのが意外であった。1年前の『暮らしの手帖』に、弟の疾患であるクモ膜下出血について触れてある文章があり、音読させながら、「ほらね〜」と二人で苦笑いした。
本人にもう少しやる気が出ればと思うが、遂行機能障害、意欲、発動性の低下は高次脳機能障害の症状なので、致し方ないのであろう。
スマホで上海はやっているんだけどね〜(爆)。
ここからどんな速度で進めるだろうか。
本当に歯科医師としての復活は望めるのであろうか。
行く先は遠そうだ。
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