障害者の就労をテーマとしたドキュメントを見ていて、『再生』だと気がついた。
趣味としている編み物も『再生』ができる。
編んだものを解いて、湯通しなどして、糸に戻す。
そして他のものを編む。
それは今、月一で習っている(今月は思いの外、予定がぎっしりとなり、お休みしますが)編み機で仕上げたものでも同様である。
糸の種類や仕上げによっては『再生』できないものもあるが、それはそれでまた使い道がある。
そこだ!
と思ったが、ワタシの時間や労力には限りがある。
でも前に進めないだろうか? と頭をひねくり回す。
遠回りしても、なんとか進む。
そう思って……。
先の土日にwebで数十年ぶりにスクーリングを受けた。
目と手をフルに使うデッサンのスクーリングだった。
二日目が終わった時の疲労が半端なかった。
染と織を学ぶためのスクーリングのひとつである。
なぜデッサンのスクーリングが必要なのだろうか? と不思議であったが、そう言えば、学生時代、ドローイングの授業があったことを思い出していた。
ドローイングは好きだったし、仲が良かった友人と共に得意な方だった。
県の繊維関係団体が主催したデザインコンテストで、その友人と共に入賞したこともあった。
懐かしい。
ずっと描いていなかったので、事前課題のデッサン2点は悩んだ。
そして、全く上手く仕上げられなかった。
撃沈だった。
しかし二日間の授業で、追い込まれていくうちに、コツを思い出していた。
チビの頃、よく参加した写生大会を思い出しながら、追い込みに突っ込んでいった。
ある年の写生大会で、お寺のお堂を描いた。
鉛筆の線どりは密に描いていたのに、色を重ねていく作業で時間がなくなり、雑に仕上げてしまったことを思い出していた。
知識があれば、もしかしたら、色を重ねていく方法も違って、時間内に綺麗に仕上げられていたのかもしれないと思いながら。
ポイントである。
弟のリハビリもポイントではないだろうか。
合えばピシッと決まるし、合わなければ永遠にそのまま。
合うものを探し続ける。
その作業の繰り返しであろう。
そんなことをデッサンしながら、思い浮かべていた。
そんな日曜夜。
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